My story『ストレスからの餓死寸前 〜 産後のハワイにて』

エッセイ

ピースフルな産後だったんだけど
なんせ収入がないっw ←笑えない

義母のコンドミニアム(マンション)
に戻ることに。

(ハワイは物価が高いから、こどものいる家庭でさえもテント暮らしをしている人がたくさんいる。受け入れてくれた義母には本当に感謝。)

※こちらの記事は前回の続きです↓

でも、義母のコンドミニアムは、
相変わらず朝から晩まで真っ暗な部屋で
光はテレビだけ。

ベビーにとっても健康上よくないし、
何せわたしが耐えられない。

産後の回復していない身体だったけど、
ベビーとステップサン(連れ子)を連れて
日中はずっと外にいた。

お金がなかったから、
食べ物や飲み物を買うことはできなかった。

何度も乳腺炎になって・・・

ベビーが吸い付くたびに
乳首に釘をさされるような激痛で、

痛くて痛くて泣きながら
海岸や公園で授乳した。

初めての育児

頼る人が誰もいない

相談する相手もいない

海外の孤独な育児

「息子はわたしが絶対に守るんだ。」
 ただ、それだけだった。

気づかない間に神経が張り詰めて
大分無理していたんだと思う。

ハワイの マラサダ
という揚げドーナツを食べたあと、
酷くお腹を壊して。。。

それからはほんの少しの食べものや

一口のお水でさえ

何かを口に入れた途端、酷い下痢をした。

何も食べられない、飲めない

それでも授乳があるから
何か口に入れるんだけど、

途端にそれ以上の酷い下痢。

どんどん痩せ細っていって
肌はカッサカサだった。

水分が取れないのに
おっぱいを吸われ続けるから、

身体の水分がどんどんなくなっていった。

唇は縦に真っ二つに割れて血が流れ、
髪の毛が抜け、フケもたくさん出た。

あの時どうやって生き延びたんだろう。。。

ベットから起きられない状況が
2ヶ月ほど続いた。

それでも赤ちゃんだけは必死に世話をした。

何も食べられないし飲めないから

おっぱいが出なくて、赤ちゃんが
おっぱいを吸いながらいつも泣いていた。

あまりにずっと吸うから
乳首に血マメができて痛かったけど、

もう乳首を引きちぎられようが
どうでもよかった。

わたしはこのまま餓死するんじゃないかと、本気で思った

”骨と皮だけになって餓死したわたしの
 おっぱいをベビーが吸ってる夢”

を、何度も見た。

赤ちゃんはずっとお腹を空かせて
隣で泣いている。

どうにか赤ちゃんだけは助けなきゃ。

ママ、おっぱい出なくてごめんね。

わたしはこんな状況になったことを義母に言えず

ずっと部屋に閉じこもって、
ステップサン(当時5歳)の世話が
全くできなくなっていたから、

義母がいい顔をしなかった。

電話で誰かに

「嫁はベビーが生まれた途端、
 ベビーだけ世話をしてステップサンは
 放ったらかしにしている」

と喋ってるのが聞こえた。

耐えられない、もう限界・・・

何も食べられなくて、
本気で餓死すると思って、

日本に住むお父さんに電話して

「帰りたい」

と言ったら、飛行機をとってくれた。

その頃夫は、なぜかまた目の調子が戻って
仕事に復帰していたけど、

わたしはもうどうしても日本に帰りたくて
ベビーと二人で3ヶ月帰国することにした。

日本に帰れる!!

そう決まったら、
だんだんと下痢症状が良くなり、

徐々に食べられるようにも
飲めるようにもなった。

日本に帰ると、

乳腺炎もよくなって、

友達にも会えて、

たわいもない会話をして、

私はみるみる回復していったのだ。

餓死寸前からの生還だった。。。

次回、

パトンあきこ

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ヨガ歴12年 3児の母(もうすぐ4児!) アメリカ在住 太陽:獅子座 月:牡牛座 医者家系に生まれ、当然のように薬剤師の道に入るも西洋医学に違和感を感じてい...

プロフィール
  1. Rinko

    あこちゃん。。大変だったねぇ。孤立しちゃうと辛いよね。。

  2. パトンあきこ

    子育てで孤立しちゃうとね、、

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