みんなキセキを生きている『ナースステーション前の特別な部屋』

診断・鑑定

※前回の続きです。

容態が急変しても
すぐに看護師さんが飛んで来られるように、

外からよく見える部屋でした。

あまりにも、いつもいつも泣いているから、

知らないおじさん(入院患者さん)が
パックに入ったブルーベリーを
看護師さん経由で差し入れしてくれた
くらいでした。

(食べ物だったからコレは鮮明に覚えているのか?? 笑)

それくらい毎日毎日、泣いていました。

退院後も 2, 3 年は
ふとした時に、突如意味もなく、

涙が流れてくることがありました。。

6月に救急搬送、最終的に病院を出たのは年明けてから。

脳卒中のリハビリは、
スタートが早ければ早いほど良いとされ、

”発症から 6ヶ月過ぎると
 回復の見込みはない”

と言われています。

日本では保険の問題で
リハビリすら受けられなくなります。。
(2007,8年当時)

寝たきりになると、
驚くほど足の筋肉が一気に落ちるんです。

私は、11 – 12kg ほど体重が落ちました。

一番ひどい時は
体重が 40kg 切っていました。

そんな状況でしたので、車椅子から
立ち上がる事すらできませんでした。

急性期病院(手術した病院)でも
リハビリは始めていましたが、

車椅子から立ち上がる
程度のリハビリでした。

ようやく立ち上がれるようになってトイレに行っても、1人では車椅子から便器に移れない。

しかも、

お尻拭くのって結構大変なんです。

知ってました??

立ち上がって

身体支えて(バランス取りながら)

上半身を捻って

腕と手を動かして
(お尻をちょうどよい場所と角度に向け)

その間ずっと立ったまま

つかまらずに

全身のバランス取っているんですよ?!

自然にやりますけど
これ、すごくないですか??

(今でもふと思ったりします 笑)

ひとりでできるもん!

トイレの練習当初、

「出来るから!」

と、看護師さんに立たせてもらって、
自分で拭いたら手にべったり付きました!!

何が、って、

うん◯が!!

自分が一番びっくりですよ。

何が起こっているか、この現状に。

看護師さんは慣れたものです。

私を含め、患者さん達は最初必ず

「大丈夫、できる。」

と言うんでしょうね。

わざわざ失敗させます。

私もうん◯が付いた自分の手を見て、
大人しくなりました。

「できる」と言って汚した手を、
石鹸ボトル押して泡だてて…

自分で洗うことさえできないんですよ…。

日々、できなくなったことしか目につかない。

あれもできない、これもできない。。

開頭手術後、頭は包帯グルグル巻きで、
顔がパンパンに腫れます。

(正確には、そうらしい・・・・・ です。頭だけミイラ男みたいなやつ 笑)

「術後は皆同じだけれど、
 ショックがひどいから見ない方が良い」

と鏡を見せてくれなかったし、
当時は怖くて見る勇気もありませんでした。

(今となっては1枚くらい写真撮っておけばよかったと思っていますが 笑)

身体だけでなく、
顔も左側が動かなくなってるんです。

未だに左の下唇にご飯粒とか
よくくっついてます(笑)気づかないの。

当時はまだ顔の筋肉も、
口も舌もちゃんと動かないので、

食事していてもこぼしまくる…。

気をつけているつもりでも、
左側から垂れるし、こぼすし。

相手を想いながらの お手当 は最強

病院では、母手作りの
タオルエプロンをしていました。。

母も不憫ですよね。
突然始まった30歳の娘の看護と介護。

おかずやお菓子を作っては
病院へ通ってくれ、

アロマテラピーの資格を持っているので、
私の好きな香りのアロマオイルで
麻痺側の手足をいつも
マッサージしてくれていました。

(精油は分子が小さいので脳に作用します。脳外科の病室でアロマオイルって、、、周りの患者さんに影響がなかったか、今更心配になります。)

脳卒中後か、その手術後かは、
麻痺した手足が敏感になっている上、
ビリッビリ痺れて痛すぎて
リハビリも進まないのが普通だそうです。

ところが私は母のおかげで、
特有の痛みと痺れが全く残りませんでした。

とにかく触ること、
肌からの刺激が良いのです。

お手当が効く。

相手を想いながらのお手当、最強でした。

視野も左側に不自由が出ました。。そして、幻覚までも。。

目では見えていても
脳が認識していないので、

すれ違うときに左側が
人にぶつかったり、
壁にぶつかったり。。

お皿やトレーにある左側の物を
認識できておらず、

気づかないで食べ残してしまったり。

(逆に突然デザートのヨーグルトが出現してビックリしたり 笑)

さらに病後の状態で、
幻覚見たり暴れたりするらしいです。
気性も荒くなったり。

全く自覚はないのですが、

私もベッドに拘束されていた
時期があったようです。

頭の骨の一部がない状態で、
ナースコールのボタンがベッドから落ちそう
になって(幻覚かも?)

それを取ろうと追いかけて、
頭から落ちそうになっていたところを、

たまたま若いドクターが通りかかって
足を抑えてくれて

頭から落ちずに済んだりとか。

そんな最中、びっくりする人が会いに来てくれました。

この時期だったと思います。

娘を産んだ時の
インド人お婆ちゃん先生、

Dr. Dhamoon(Dr. ダムーン)です。
※第3話『貧乏学生夫婦、ニューヨークで子供を産む』参照

居たのは全く違う場所でした。。

真っ白い大きなリネンが
たくさんかかっていて、

眩しすぎない、

程よい太陽光が入って

気持ちの良い風がそよそよと吹く、
快適な場所でした。

そこの真ん中に1台ある
ベッドに私がいて、

ポケットに手を入れたままの
Dr. ダムーンが

優しい顔でベッドサイドに立っていました。

会話をした記憶はないですが、
確かに彼女だった。

・・・これは明らかに幻覚でしょうね。

だって、
NYのクリニックのドクターですし、
産んだ当時も既に高齢でしたしね。

ましてや連絡する理由ないですし(笑)

うろ覚えの入院、リハビリ生活

入院初期の頃、寝たきりのため
血栓防止のふくらはぎを締めつける靴下
を履いていましたが、

血栓ができてしまいました。

その血栓が脳や肺に飛ぶと危険なので、
首の動脈に飛んだ血栓をキャッチする膜?
だかを入れる手術も

知らない間にしていましたし、

足の付け根から脳まで血管を通して
何かする?カテーテル手術もしました。

これは部分麻酔だったから
手術台で天井のライトに写ってる
先生達が見えてました(笑)

止血するんで
足の付け根を猛烈に押されたのも
覚えています。

急性期病院(手術した病院)での
リハビリ室では、

ベッド上でできる体幹トレーニングや、
立ち上がったり、
車椅子からベッドに移ったりの練習です。

あとは左腕に全く力が入らないので
寝返りの練習や、

まずは危険がないように
とにかく動かない左側に慣れること、
でした。

(左手が身体の下敷きになったりすると感覚もないので気づかない。)

どうにか立ち上がれるようになっても、歩き方さえ分からなくなっているんです。

どう足を出して、
どう体のバランスを保って、

前に進んでいいかが分からない。

そして歩こうにも
左足の足首を固定することができず、

つま先を上げられず、

足がつけないので歩けない。

やっとこさっとこ足がつけても、

足首に力が入らないので
右足を進めるための体重を保持できない。。

(つくづく、人間の身体ってほんとすごい!って思った次第です。。)

次回、「リハビリ病院へ転院」へ続く

発酵ホメオパスRinko

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ホメオパス 香港在住 太陽:射手座 月:双子座 自分らしく、あるがままに生きられない…”寂しさ・虚しさ” を感じていた20代、海外とは無縁と思っていたのにな...

プロフィール
  1. アニカ

    りんこさんのキャラクターから、本当はこの文脈よりもっと、かなり、壮絶だったのだろうなと察しました!ほんと凄い経験されたんですね。その間、娘ちゃんはどうしてたの?と気になってしまいました。

    • Rinko

      コメントありがとうございます。義両親が来てくれたり、私の実家にお世話になったり。

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