みんなキセキを生きている『リハビリ専門病院への転院』

診断・鑑定

※前回の続きです。

頭蓋骨の一部がない状態のまま
何とかリハビリ病院へ転院できたのが、
たしか 9月17日。

発症から2ヶ月強経っていました。

当時の記憶は曖昧で
何があったか思い出せないのですが、
治療が長引き、スムーズにリハビリ病院へ
転院できませんでした。

(骨がないまま転院とかすごいよね、今のようなコロナ禍だったらどうなんの 笑)

私が入ったリハビリ病院は通常、

発症から1ヶ月以内

でないと受け入れてもらえませんが、
訳あって特例でした。

「子供と夫が待っているのだから
 早く本格的にリハビリできる
 病院に転院したい!!」

と主治医に迫っていたからかな(笑)

(特例はコネだ!と思ってたけど、今思えば空きがなかっただけ。)

超スパルタ! リハビリ専門病院

リハビリ専門病院では、
まずは左足首を固定する装具と、
柔らかい専用ヘルメットを
オーダーしてくれました。
(頭に骨がない状態でのリハビリなので)

足首固定の装具は色や柄が選べました(笑)

私は何も考えずに、
半透明のベーシックなものに。

(これから作る必要がある方には黒がおすすめ。ズボンの裾からチラッと見えた時に白だと目立つので 笑)

急性期病院とは違い、
リハビリ病院は

実生活に戻ることが目的

の入院期間なので、

毎日基本のスケジュール
が決まっていました。

起きてから寝るまでがリハビリ
だったので、

起床、就寝、食事、
午前午後のリハビリ室での訓練、

詳細に時間割りが決まっていました。

寝たきりや惰性は許されず、
厳しくて泣いてるお年寄りもいました。

(脳卒中専門だったのでお年寄りが多かったです。夜中は徘徊する方とか叫ぶ方とかもいました。)

・パジャマは禁止。必ず朝起きたらパジャマから私服に着替える。

・スリッパ禁止。部屋から出る時はきちんと装具と靴を履く。

・食堂で食事なので、装具を付け、靴を履き、車椅子なり杖なり、必要な人は補助してもらって、時間内に食堂へ行って食事を頂く。

・薬が必要な人は部屋から持参。

お食事メニューも和・洋など、
数週間前から事前に選べましたし、
食器は落とせば割れる陶器製でした。

後から知ったけど高級リハ病院だった…汗

リハビリ室は部外者(お見舞いなど)立ち入り禁止

リハビリは、

歩くための下半身や
体幹強化指導の理学療法と、

上半身、麻痺の手を動かしたり
実生活指導の作業療法、

2種類がありました。

話すことのリハビリが必要な人には
言語療法もありました。

定期的な体力、筋力測定、知能測定も。

(知能測定が毎回怖かった…汗)

足の裏からの刺激を重視しているそうで、
必ず裸足でした。

(これは納得!足裏刺激大事。)

私は左手の麻痺を回復させたかったので、
作業療法を重点的にやりたかった。

でも、病院の方針はとにかく
自力で移動ができる(歩く)ことを重視
していたので、

手は 硬くならないように維持すること
がメインでした。

放っておくと麻痺側の手は、
使えないどころかグーに握ったままで
自力で指が開けない状態になります。

10年以上経った今では
逆に自由に握れなくなっています。。

手を開く練習し過ぎたのかな。。
(分かりませんけど。。)

足は大きな筋肉が多いですし、
まだ若かったこともあり、
日に日に良くなりました。

階段の練習や、
ライン上をバランスとりながら歩く練習、
後ろ歩きなど、高度になっていきました。

(でも未だに左足軸にした片足立ちは難しい、ってかまだできません 笑)

リハビリ病院は楽しかった(笑)

だって、自分がどんどん回復していくのが
目に見えて分かるから!

身体的能力は完璧ではないけれど
内臓は元気だし、

急性期病院と違い、
与えられた車椅子は軽量で小型!

小回りが効く!(笑)

車椅子を右手だけで漕いで、
病院内を1人暴走族してました〜(笑)

ドリフトしたりとか(笑)

退院が近くなると
実際に作業療法士の方と

スーパーへ買い物に行き、

料理をする、

サーブする、

片付ける、

転ばないように掃除機をかける練習、
(当時はコード付き掃除機なので)

安全にお風呂に入る、

など実践編までありました。

退院してからもリハビリは続く

3ヶ月間のリハビリ入院期間を終えて
年が明けてから帰宅しましたが、

一部分骨なしのままだったので
外出時はヘルメット着用でした(笑)

恥ずかしいし、被っていませんでしたけど。

退院後の大きな出来事としては、
夫がアメリカ・ボストンにある
本社への転勤が決まったこと。

退院後数ヶ月して
夫はボストンへ先に飛び、

私はしばらくしてから
娘と共に追いかける計画でした。

半年くらいの期間を置いて
体力を回復させてから、

最初の手術で取り外した頭蓋骨を
戻す予定でしたので。

いずれ海外に出ることが
分かっていたので、

2歳の娘は、
実家から通える範囲内にある唯一の
インターナショナルプリスクール へ
入園しました。

判断機能も衰えていたので実生活で訓練しました。

実生活で苦手だったのは数字。

両親と私と娘だけなのに、
夕飯用の魚を必死に考えて5尾買ったり。。

(気づいた時にまた落ち込むやつ。。)

毎日がとにかく必死だったので、
脳はクタクタで

麻痺側をかばうので、
身体はガチガチに凝って

毎日マッサージや
鍼灸にお世話になっていました。

(今でも鍼灸大好き!)

必死に『普通』を目指して頑張っていましたねぇ。。

私が『普通』ではないから、
娘には『普通』の幼稚園生活を…と

とにかく頑張っていました。

無理しないで、と言われても
全く耳に入りませんでした。

(アップアップの時ってこうなりますよね。)

夫がボストン単身赴任中も
外来でリハビリ病院に通い、

体力も身体の扱いにも慣れ、

外した頭蓋骨を入れるために
2週間の入院をクリアしました。

(せっかく生えてきた髪もまたしっかり剃りました。)

骨入れ完了で、ドクターからは
ウィッグ業者を紹介されましたが、
なぜかドヤ顔で断った(笑)

(スキンヘッドも似合うし美しいから平気!って 笑 ←どっからきた、その自信 笑)

退院後は実家住まいで
引き続き実践リハビリでした。

次回へ続く。

発酵ホメオパスRinko

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ホメオパス 香港在住 太陽:射手座 月:双子座 自分らしく、あるがままに生きられない…”寂しさ・虚しさ” を感じていた20代、海外とは無縁と思っていたのにな...

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