ヨガの練習はマットから…ではなく、キッチンから始める!?

たまたま
インドで ”菜食” という体験をして
気持ちが良かったからなのか、、、
”そういえば小さい頃、
お肉が食べられなかったなあ”
なんて思い出し、、、
そんな理由から、
自然にお肉をいただかないように
なりました。
年齢的に
苦手になってきたのもあります。。。
特に
”主義主張があっての食生活”
では、全くないのですよ。
食のことを相談されても私は ”菜食” をすすめません
もちろん
ヨガでは
食も重要ですが、
『ヤマ』『ニヤマ』(※1)
の実践なしに、
食やアーサナ(ポーズをとること)
のみに走ると、
(自分自身もそうですが)
更にエゴが強くなるような気がして
違和感を感じてます。
食事って本当に大切です。
※1 『ヤマ』『ニヤマ』とは生活の中に取り入れるヨガの知恵
ミスユニバース、イネスさんの言葉
“一生ディナーをともにすることのない人に、何をいわれても気にする必要はない”
友人がフェイスブックに
あげていたんだっけかな?
アタシはこの言葉に
すごく勇気をもらいました。
「今度ご飯でも」
なんていう社交辞令、
使わなくなりました(笑)
裏を返せば、
・ディナーをともにする人
・食事を一緒にする人
って、一生のうち
すごく限られている
大切な方なのだと思うのです。
独り身で ”何を食べるか”
選択がしやすいならまだしも、
一緒に食事をする方、
ご家族の同意なしに、
ただ
”ヨガをしているから”
”ヨガは菜食じゃなきゃダメだから”
そんな理由だけで
いらぬ小競り合いを起こしたり、
お肉を食べる人を蔑んだり、
お肉をいただかない
ロハスな自分への陶酔、、、
それは何かが違うような。。。
そりゃあ
幼少からゴリゴリのベジタリアン
小藪にーさん も怒る(笑)
お笑い芸人の小藪千豊さんは、祖父からの教えで肉を食べないご家庭に育ち、現在も牛・豚・鶏は食べないとテレビなどで発言しています。
「体は自分が食べたものでできている」
先日、
インドの師匠からの第一声でした。
「ヨガは食べ物ですよ」と言わずに、
「ヨガはまず台所から」と言った。
その言葉に
ハッ!としました。
どうしても
”自分が何を食べたか” だけに
フォーカスしてしまいがちですが、
そうではなく、
台所から。
”食事を作る行為を
おろそかにしていなかっただろうか?”
”食事を作る行為をする神聖な場を
おろそかにしていなかっただろうか?”
”食事を作ってくれる人を
おろそかにしていなかっただろうか?”
”食事をともにする人を
おろそかにしていなかっただろうか?”
”食事を作る道具を
粗末に扱っていなかっただろうか?”
”素材となる食材を
おろそかにしていなかっただろうか?”
この身体を構成し、
持続していく行為を
お粗末に扱っているということは、
やっぱり自分をお粗末にしている。
自分を大切にできなきゃ、
他人様も大切にできない。
その上で、
・簡単に調理できる
・簡単に食べられる
・簡単に消化できる
・簡単に排出できる
”サットヴァ” な食べ物を(※2)
ありがたくいただく。
感謝をしていただく。
そういうことなんだと
心に響いた今回の学び。
毎日、旅芸人のように
一日中車であっちこっち巡る。
というスタンスなので
「自炊はできない」
と言い訳しておりましたが、、、
※2 サットヴァ = 至福・純粋性・調和
時間があったらまず自炊を!



どんだけ、韓国好きなんだ!
という感じですが(笑)
作るもの
かなり偏っていますが、
少しずつ自炊生活へシフト中。
いひひ♡
しばらく自炊生活楽しみます♡♡♡
もちろん
おうちに帰ったら
今日は台所のお掃除ですな!!!!
いやあ、、、
丁寧に扱う、、、
これは食のことだけでなく、
「すべてにおいてそうなんだ」
と思うのです。
ホント気づきある日々に感謝だなあ♡
話の筋から、インド料理が来るかと思いきや、韓国料理が並んでてウケました(笑)
コメントありがとうございます!
そうですよね・・・
絶対インド料理かと思いますよね笑